誕生秘話– History –

誕生秘話

1962(昭和37)年に神戸で盛花記念館・小原流家元会館竣工記念全国大会が行われました。
その折、祝賀式典で小原流に対する功労者として教授者だけでなく全国から8軒の花店が選ばれて表彰を受けました。
その花店はそれぞれの地域で小原流の発展に大きく協力している有力な花店でしたが、ほとんどが初対面でした。花店の全国的な繋がりがまだ薄い時代でした。
この花店の代表者8名が新装なった家元会館を訪れ、いろいろと苦労話をしている中から、花店が協力して花材供給に取り組むという豊友会の構想が生まれたのです。

小原流いけばなでは、写景盛花などの取合せで、一般市場に流通していない特殊な花材を使用することがあります。そのため、一軒の花屋では対応できない悩みがありました。 1962年、家元会館に集った8名の花屋同士が横の連絡を持つことで、花材調達に関わる問題を解決できないかと考え、家元にお願いをして「小原流出入りの花屋の会」を作って頂こうという意見が強まりました。
三世家元・豊雲先生から「それは願ってもないことで、かねがね私も花屋と腹を割って話せる集まりを持ちたいと思っていた」と力強い賛成をいただき、さっそく会を結成するための準備に入ることになりました。

1962年、小原流納入業者の会をつくるための準備が始まりました。推進役になったのは、名古屋の花年(はなとし)故中村年雄、大阪の上六花幸(うえろくはなこう)故植田幸一、そして東京の青山花茂本店(あおやまはなもほんてん)故北野太郎、花店の代表3人でした。
通信手段の限られた時代でしたから、全国の情報収集や互いの連絡にも時間と手間が掛かり、発足を迎えたのは6年後の1968年のことでした。
この6年の間に、小原流はさらなる発展の一途を辿って全国で花展が盛大に開催されるようになっていました。花材を提供する花店の一致団結した協力がますます必要になっていたのです。

花店同士の協力体制がますます必要とされるなか、1968(昭和43)年8月、神戸の家元会館で「小原流花材納入業者団体協議会」という名前の会がついに発足しました。ところが、発足総会を終えて開いた有馬温泉での懇親会では、会場の温泉旅館に「小原流全国花商連絡会」という横看板が掲げられていました。
発会に向けてそれぞれが仮の名前をつけて連絡し合っていたようで、正式名称がわからないという騒ぎでした。
幹事役たちが温泉に入りながら、正式な名前はお家元に付けていただこうと話し合っているところへ、当の豊雲家元が入ってこられたのです。

発足総会に続く懇親会でのこと。幹事役たちが温泉につかりながら会の名称を話し合っていたところに、小原豊雲家元が入ってこられました。「これが本当の裸の付き合いだ」とお互い笑っていると、家元が「君たちは花を通じての友達や。豊雲の友達で〝豊友会(ほうゆうかい)〞でどうや!」とおっしゃいました。これが会の名前となったのです。
正式発足した「豊友会」は、名誉会長に豊雲家元を推戴(すいたい)し、会長に植田幸一氏、副会長に北野太郎氏を選任し、全国を6地区に分け、地区ごとに理事を選出しました。
ついに〝ひとつのこころざしと目的で結ばれた、小原流出入り花店の全国団体〞が結成されたのでした。

引用:小原流挿花より